そろそろかなと思い、テーブルの上に飾っておいた靴。それが、ふと見ると引き出しの籠の中に入っているではないか!

これは、おもちゃを出すことを覚えた彼がしたこと。毎日毎日、こうした感動に立ち会うことになるなんて思ってもみなかったけど、子育てって宝物探しのようなすてきな一瞬があるから、きっと頑張れるんですね。
そろそろかなと思い、テーブルの上に飾っておいた靴。それが、ふと見ると引き出しの籠の中に入っているではないか!

これは、おもちゃを出すことを覚えた彼がしたこと。毎日毎日、こうした感動に立ち会うことになるなんて思ってもみなかったけど、子育てって宝物探しのようなすてきな一瞬があるから、きっと頑張れるんですね。
今年の紅葉は、あっという間の出来事だった。軽井沢での暮らしは10年になるが、雲場池のもみじが、あれほど艶やかな紅だったことはない。また、落葉松が一気に黄金色に色づき、瞬く間に落葉した年もなかった。そこに子育ての慌ただしさも加わったから、早足でやってきて去っていった今年の秋が、いつもより名残惜しいものになったような気がする。
秋を終わったと言える理由のひとつは、なんといっても浅間山が冠雪したことだ。まだそれは薄らとしたものだが、雪を冠った山が運ぶ風は冷たく、裾野に暮らす私たちに冬の到来を報せ、この時期特有の緊張感をもたらす。

さぁ、この冬はどんなものになるだろう。厳しい寒さと引き換えに、またあの美しい白銀の生活に入る。

早朝の雲場池
朝日に照らされた我が家の楓
今はもう、シャープな光だけが差し込むリビング。こんな風に、葉のざわめきが聴こえた日が懐かしい。
子供の寝息を確認したあと、私は剪定鋏と手袋を持って庭へと繰り出した。夏の間、家を取り囲むその緑に、どれだけ勇気づけられたかわからない。それぞれに色づき役目を終えた彼らを順々に、綺麗に整えてあげたい。そう思うのは、四季を楽しませてもらっている感謝の気持ちからだ。
しかし、今の私に与えられた時間はごく僅か。5分おきにデッキに戻り、一度目覚めたらどこで何をするかわからない、アグレッシブな子供の様子を確認しながらの作業は、想像を超える慌ただしさだった。だからこそやりきった感が強く、一日がぐっと充実してくるのだが…。
子育て中の親にとって、時間とは何か?ひとりの時間とは何か?と思いを巡らせてみる。すると、不思議。結論は、もう”ひとりじゃない”ってことなんだね。誰かのためにが、もうひとり増えた。何をするにもそのような感覚で臨む毎日。マルバの葉が、今までとはちょっと違って見えたのもそうのせいかな。大変な毎日だけど、我が家にきてくれてありがとう。
急遽、一段上がった和室にサーフテーブルを置くことになった。子供が自由にひとり歩きするまでの、期間限定のインテリアだ。こんな斬新な展開、今までただの一度も考えたことがなかったが、せっかくなのでここで大人の時間を楽しみたいと思う。

今朝の気温は5度だった。庭ではヤマリンドウが花開き、深まる秋を知らせている。しかし、この花が最も美しいのはほんの僅かな時間。霜が降りたら最後、蕾ごと凍って残念な姿になるのだ。
マルバノキはハート型の葉を赤く染めて、早くも落葉。私は、この時期がもたらす美しすぎる光を内で外で、追いかけるように忙しく過ごす。

朝晩はめっきり涼しくなり、一雨ごとに落葉松に絡んだツタウルシの紅葉が進んでゆく。しかし、周囲の木々はまだ青い。一見夏のようだが、近づくと葉の緑も随分と色褪せ、オレンジ色に染まりはじめたものもある。いつまでも続く残暑が季節感を失わせていると決めつけてきたが、いやいやどうして、自然はいつものペースを微調整しながら守っている。
日当たりの良い場所では山栗が熟してきたから、散歩がことのほか楽しい。だが、容赦なく高所から落下してくる栗のいがは重く、時に凶器に。大人に当たっても大怪我だ。だから、いくら栗拾いが楽しくても子供と一緒にとはいかない。たとえ5分でも、旦那さんに子供をみてもらい、私はひとりでこの時期特有のアクティビティに興じる。
今日は朝から冷たい雨。昨日蒸かした山栗を使って、パウンドケーキを焼いてみた。材料の粉・砂糖・卵を、それぞれ1ポンドずつ使うからことから名付けられたこの簡単な焼き菓子でさえ、子供が寝静まった時にしか作れない。あぁ、でも、今日は作ることができた!私の子育ても、一歩前進。
たっぷりの山栗のペーストとココアバター、ビターチョコレートで大人の味に。

カラリとした秋晴れが、そろそろ懐かしいものになりそうだ。
9月も中旬となったが、晴れた日中は気温が25℃まで上がる日々だ。全国的に残暑が厳しく、この三連休は軽井沢も大混雑!再び別荘に戻ってきた方も多かった。朝晩は17℃前後と、油断をしたらすぐに喉を痛めてしまうような冷気が窓から入ってくるが、それでも日中暖められた室内は24℃と快適。もちろん、薪ストーブを焚く必要もない。自然光と、この時期にしては暑すぎる陽気が、ゆったりとした時間をもたらしている。
しかし、薪ストーブを焚く日々はもうすぐそこまで来ている。いま、子供はつたい歩きとハイハイを謳歌中。壁や床を照らす光が面白いようで、太陽が雲間から出たり入ったりを繰り返す時などは、”白く動く光”に手をかざして遊んでいる。その姿を背後で見守っていた私は、これまで味わったことのないような不思議で優しい感覚になり、ひとり感動してしまった。この世に命を得たばかりの小さな子供が目にするのは、初めてのものばかり。この感動こそ、大人には必要だったのだ。

忙しくなる前に、増え過ぎたものの整理整頓を進めよう。薪ストーブを焚くということはつまり、家族がもうひとり増えるようなものなのだ。
自宅から車を走らせて、約20分。以前から、果樹園の横に手書きの看板が立てかけられていることには気付いていた。しかし、まさか、これほど端正込めて栽培されているプルーンだったとは。一粒の大きさは10センチほどあり、皮は手でするりとむける。つまりは、最も美味しい完熟の状態しか売り出さない主義なのだ。黄金色の果肉を頬張ると、香り立つ甘みとほどよい酸味が口いっぱいに広がり、掌から瑞々しい果汁が滴り落ちる。あぁ、なんという幸せか。信州には、まだまだ私の知らない”美味しい”がある。