キッチンで洗い物をしながら、ふと窓の外に目を向けると、お隣さんの庭に梅の花を見つけた。 ここでは、ゴールデンウイークを直前にして、ようやく春の花たちが咲き始める。
桜だって、もちろんまだだ。しかし、先日のような20℃近い暖かさが続けば、瞬く間に開花は進む。
午後のひととき。母乳育児中といえども、たまにはこれくらいのご褒美もいいだろう。和菓子は季節を先どりしているから好きだ。
キッチンで洗い物をしながら、ふと窓の外に目を向けると、お隣さんの庭に梅の花を見つけた。 ここでは、ゴールデンウイークを直前にして、ようやく春の花たちが咲き始める。
桜だって、もちろんまだだ。しかし、先日のような20℃近い暖かさが続けば、瞬く間に開花は進む。
午後のひととき。母乳育児中といえども、たまにはこれくらいのご褒美もいいだろう。和菓子は季節を先どりしているから好きだ。
ほとんどの時間を家の中で過ごした私にとって、今年の春は唐突にやってきた。ブラインド越しの庭の様子が見たくてうずうずし始めた頃には、既にあちこちでフキノトウの花が咲き乱れていたし、クリスマスローズのこともすっかり忘れている。こんなことは初めてだ。子供の深い寝息を確認した後、春の訪れをこれ以上見逃すまいと雨上がりのデッキに出た。
木々の冬芽が少しずつ膨らみ始めていた。そして、葉よりも先に花を咲かせる山の低木 ダンコウバイが雨の雫を纏って夕日に輝いていた。
黄色は春のいろ。春はいつも、どんな時でも素敵な季節だと思った。
私が育児のため、人手不足に陥った今シーズンの薪づくり。旦那さんがSOSを出すと、友人たちが遠方から薪割りのために駆けつけてくれるという。なんともありがたい話である。
子供が深い眠りについた夜中から、私はストーブトップで料理を作り始めた。辛さを抑えたグリーンカレーと、鳥肉のトマト&オリーブ煮込みに、マリネを二種である。
そうして迎えた土曜日は、朝からあいにくの雨。ホームパーティで終わってもよいと思っていたが、薪割りをただの一度もしたことがない友人たちは、やる気満々。バッグの中にレインコートを忍ばせていたから驚いた。ならば、せっかくなのでやってみようか!試しにタープを張ったところ雨を凌げて、チェーンソーと薪割りの両方を体験してもらうことができた。斧を振り上げることも、チェーンソーを回すことも、普通に考えたら非日常。無心になれることって、そうそうない。
リビングですっかり寛いでいるのは、友人の連れてきた愛犬 リラク。つぶらな瞳がいいね。
一人を残してみんなが帰った翌日は、ゴールデンウィーク頃の爽やかな陽気に。最近、マクロビオティックに目覚めたという彼女は初めての薪割り。しかし、大学時代からダンスで鍛えたしなやかな身体だ。何回か手ほどきをしただけで、薪割りをすぐに自分のものにしてしまった。
こんな日は、デッキで食事が最高のご馳走。私も子供を抱いて外へ出た。肉体労働をしていたら少し肌寒いくらいの気温が心地よいものだが、子供にはまだ寒い。スキーのインナーにしてきたパタゴニアのR1ジャケットが、おくるみの代わり。私たちが待ち焦がれてきた春の息吹を、その肌に感じて欲しい。
笑っている自分をみつけた。
子育ては大変だ。世の母親すべてが尊敬に値する、と思う。 子供は、好奇心旺盛で見るもの聴くものすべてから刺激を受け前進してゆく生き物。決して後ろなど振り返らない、パワフルだ。
そしてこの子は、まさに自分の鏡だと思った。ここまでリアルに私の行いを映し出す鏡はない。人生の折り返し地点で現れたこの手鏡が、きっと私自身を育ててくれる気がする。
yukawatanでディナーを楽しんできた旦那さん。私はもちろん自宅で、まだまだ外食を楽しむ余裕はない。だから、このような小さなポーションのデザートをお土産に持たせてくれたことは、とても嬉しい配慮。
現在は母乳100%で子供を育てているのだが、どこへいくにも身軽なぶん、食生活には気を遣う。甘いスイーツや天ぷら、そして当たり前だがアルコールと口にできないものも多いのだ。それらを妊娠中から絶っていることに気づいて...母の意識は強しと思うのだった。
リビングに日が差し込む午後、その光の元を探るかのように子供は顔をよく上げる。こうして人の子は首が座ってゆくのかな。
友人が、自宅の庭で 咲き始めたというミモザを送ってくれた。ちょうど、その日は旦那さんの両親やお姉さん家族が遠路はるばる遊びに来る日。生けたばかりの新鮮な花で人を迎えられたことは、この上ない幸せである。
黄色はまさに春の色。 私の真似をしてあー、うーと喃語を喋りはじめた我が子にも、きっと季節の移ろいは伝わっているはずだ。
小さないのちが発する力は、これまで感じてきたよりずっと偉大だった。会う人会う人が、子供からエネルギーをもらって前向きになってゆく。凄いことだ。