ここにきて、寒さの質が変わってきた軽井沢。明け方はマイナス5度、日中も5度ほどしかなく、浅間山も少しだけ冠雪。昨日などは、離山の霧氷が夕方まで消えることはなかった。私は毎朝、子供が眠っている間にその日分の薪を、デッキの薪棚から運び入れるのが日課。玄関のドアを開けると、まず空気の冷たさに驚いて、壁にかけてある上着を着込む。少し前までは、ちょっと外へ出るのに上着は不要だったはず。が、今ではその一手間を面倒と思わなくなった。
”子供は風の子”とは、よく言ったものだと思う。どんなに寒い日でも、晴れてさえいれば「外へ行こうよ!」と指を指して私に訴えてくる。だから私も、本当に外で過ごすことが増えてきた。子供のように動いていると、不思議なもので寒さも和らいでゆく。
空はいつの間にこれほど蒼くなったのだろう。僅かに葉っぱを残した落葉樹の枝が、隣り合った枝とぶつからずに生きていることの不思議。透き通る鳥の声。こんなに冷えた日だからなおさら感じるのか?お日様の暖かさはやさしくて、偉大。
この時期の子供は落ち葉でいっぱいになった道を歩くことを、楽しみとしているようだ。わざと音を立てるようにそぞろ歩きをしてみたり、塊の中にダイブしてみたり、しゃがみこんで、大好きな木の棒や実を探していることもある。今日は、落ち葉のクッションの上に偶然落下した(いや、鳥が啄んだ後なのかもしれない)、鮮やかな紫色の実を見つけて大はしゃぎ。小さな瞳はきらきらと輝き出して、しばらくその実を大切に握りしめていたが、ふとした拍子に興味はいつもの石へと変わっていった。私はその実をリビングのガラステーブルの上に置く。紫式部の実は食用で甘いことを知ったばかりだった。これなら誤って口にしても問題はない。それにしても、なんて綺麗な色をしているのだろう。
夜になって、子供は覚えたばかりの、ダイニングの椅子にこしかけるという行為に出た。大人だけの特権のようだったこの場所に自分もいられることが嬉しくて、得意になっている。見ている方はひっくり返るのではないか?とヒヤヒヤするが、意外と安定している。テーブルに乗らずに済むなら、そのままにしておこう。すると...昼間見つけた例の実を手に取り、近くにあったポストカードや紙袋の上に乗せて、潰して、遊びはじめたではないか。
そろそろ切り絵でもやらせてみようかなと考え、教材を取り寄せていた私は、それを見てまた初心に戻ることに決めた。今はまだ、いろいろなものを見せたり、でかけるだけでいい。それから先は、子供自身が決めることだ。
これから、長い長い冬へと向かう軽井沢。全ての葉を落として、枝先に美しい実だけをつけた木々を眺めていたら、この世の中に無駄なものなど何もなく、すべては誰かの為に。役にたつために存在しているという、とてもシンプルな命の営みに気づかされ、清々しい気持ちになった。
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