大型連休前のセゾン現代美術館。
町がどんなに熱くなっても、ここはいつも空気が違う。浅間山を背に、広大な敷地のなかを小川が流れるという、優雅さがすてきだ。グランドカヴァーは芝生。だが、よく見るとハルニレの根元だけは、見事なまでに苔むしていることがわかる。土地の色を持ちながら様々な美が混在するこの庭こそが、モダンアート。
ここは、私の大好きなサラシナショウマの群生地でもある。秋の日差しに照らされて輝く白花が風に揺れる日は、そう遠くはない。
大型連休前のセゾン現代美術館。
町がどんなに熱くなっても、ここはいつも空気が違う。浅間山を背に、広大な敷地のなかを小川が流れるという、優雅さがすてきだ。グランドカヴァーは芝生。だが、よく見るとハルニレの根元だけは、見事なまでに苔むしていることがわかる。土地の色を持ちながら様々な美が混在するこの庭こそが、モダンアート。
ここは、私の大好きなサラシナショウマの群生地でもある。秋の日差しに照らされて輝く白花が風に揺れる日は、そう遠くはない。
明け方の気温が20度を切るようになり、山萩やミソハギのピンク色がポツリポツリと見えはじめた軽井沢。山百合の香りが微かな風の乗って、静けさに華を添えている。

なんでも今日からは、全国的に猛暑になるのだとか。暑い日にはスパイシーなものを自然と身体が欲するが、ガツンと甘いものも良いことを、6月の沖縄旅行が教えてくれた。
昨日から、ホテル ブレストンコートでスイーツ博が開かれているという。この催し物はかれこれ8回目になるが、どういうわけか一度も行ったことがなかった。今はじっとしていられない子供と一緒なので、イベントに参加したりラウンジでゆっくり寛ぐなんてことはできないが、特別にオープンするパティスリーで買い物。これだけでも行く価値はある。

エントランスのマカロンアートに、思わず手が伸びる我が子。これは大変なことになりそう。
浦和にあるという、パティスリー アカシエのショーケース。いろいろ見たけれど、リュベロンと名のついたブルーベリーとラベンダーのスイーツに完全にノックアウトされた。凄いな、この色、この質感。モダンアートの域。
高原教会の中庭には、鮮やかなパレットや大きなマカロンのオブジェが。それらが木漏れ日を浴びて、キラキラと輝いていた。
自宅に戻り昼食を済ませると、子供は今日の暑さから逃れるかのようにスヤスヤと眠りについてくれ…私に至福のティータイムをくれた。
一番奥の、スイーツ博の為に作ったというババッチャ(ラム酒、黒糖、抹茶のハーモニー)をいただく。お酒も甘さも妥協なしのパワフルなスイーツだったが、色合いが綺麗で、日本人パティシエのセンスと技術の高さを感じる。
今日で我が子は一歳6ヶ月に。目覚めたら、ブレストンコートの風味豊かな枝豆のモンブランを一緒に食べたいと思う。

お盆休みに入ると、道路が混雑して身動きが取れなくなるので、この時期のイベントはとても嬉しく感じられた。夏の軽井沢ってやっぱり楽しいな!都会的なセンスが至る所に垣間みれて。これで教育面が充実してきたら、ほんとうに言うことなしです。
先日、蜂の家を代表するお菓子”まゆ最中”をお土産にいただいた。繭を象った五色をお茶請けにいただいていたら、「そうだ、富岡製糸場へ行こう!」という気分に。
富岡製糸場と言えば、群馬県が世界遺産への登録を進めている歴史的建造物。お恥ずかしながら、私はまだ行ったことがなかった。場所は、工場としては圧倒的な存在感を放つ景観が有名なTOHO ZINCの裏手。遠目に眺めるだけだったこの工場に近づくことができるなんて、思ってもみなかった。
富岡の静かな商店街に入ってゆくと、製糸場へのアクセスが便利な駐車場がたくさん。工場内に駐車スペースはないので、みな手前に車を停めて製糸場まで徒歩で向かうのだった。
私は、まず赤茶けたレンガ造りの建物の大きさに圧倒された。広い敷地内には繭を保管させるための倉庫や繰糸場があるのだが、建物の長さは100m超え。しかも、およそ工場とは思えぬ和洋折衷の建築美だ。内部に入ると、それが木組みによる建物だということがわかり、またまたびっくり。1872年(明治5年)、明治政府が官営の器械製糸場として設立。後に民営化され幾つかの会社に引き継がれたが、日本国内の養蚕・製糸業を世界一のレベルまで牽引してきた。

群馬県の、特に松井田町のあたりでは、中二階の木造家屋が多く見られる。だから、このあたりはかつて養蚕が盛ん”だった”のだろうなと思っていたのだ。では、今はどうだろうか?自分が袖を通しているシルクの衣装のほとんどは、インドやタイから来たものだ。調べてみると、現在、日本国内で操業している製糸工場はたったの2カ所!ということがわかった。ひとつは、今も養蚕が続けられていることが風景からも伝わる松井田町の碓氷製糸。もうひとつは、山形県酒田市の松岡という会社だ。
そういえば、国産の繭として希少な”新小石丸”という名を思い出した。この上質な反物の生まれる場所が、松井田だったとは...灯台下暗しである。私の同級生にも、繭という字を使った子が何人かいる。日本における養蚕は、つい半世紀前まで国をあげた政策だったのだ。


繭を製糸したものが絹(シルク)。近年、私たちの暮らしに化学繊維は欠かせないものになっているけれど、もしかしたら、天然の繊維が持つ素晴らしい性能には勝てないのかもしれないと感じる、今日この頃。毛、麻、綿、そして絹。私のワードロープからポリエステルが徐々に消えつつあることに、最近気がついた。
日が
いまは、一年のうちで、これ以上はないというほど緑の濃い時期。ツル性の植物も元気いっぱいだから、ちょっと油断をしていると大切な木に絡みついて、取り外すのに手間取ることもしばしば。しかし、散歩の最中に見るツル性の植物の姿は実に魅力的だ。むかご、ツタウルシ、山葡萄などなど。
炎とはまだ無縁の薪ストーブの周りは、観葉植物の特等席だ。ストーブトップに楕円の黒いトレイを置いて、ステンレスのワインクーラーに庭の緑を生ける。ゲストの多いこの時期は、このように常時グラスを並べているので、涼感も演出できる。
これは山葡萄の葉。こういうものがイミテーションではなく、生きた葉であることが夏の山暮らしの醍醐味。
ご近所さんも、めまぐるしくゲストが訪れて賑やかな日々を送っている。急遽、夕食をご一緒に!なんてことは、ここでは日常茶飯事。予定がなければ快く受け入れる。
ある日の差し入れは、新鮮な野菜(ズッキーニ・満願寺とうがらし)ときのこのグリルと、フランスのスパークリングワインにチーズ。お気に入りのオリーブオイルと塩を持って行くと、何かと重宝し会話もはずむ。
今日は、ロンドンからフランス人ファミリーが遊びにきている。旦那さんは著名なミュージシャンのマネージャーで、富士ロックフェスティバルの為に来日した。私のつたない英語とフランス語で何とかコミュニケーションをとるが、そもそも母語が違う子供たち同士の方が、スムーズに意思疎通がはかれているから頼もしい。
夕食に、緑いっぱいのサラダを丹誠込めて作ってワインを傾けたら、出会ったばかりだというのに一気に言葉の壁が崩れていった。やっぱり、食事には魔力があるのだと思う。
しかし、自分が親となった今、日本人の英語力を何とかしないと!と痛感。世界の共通言語を空気のように使いこなせるようになったら、どんなに楽になるだろう。
毎年恒例の夏のBBQが終わった。幼児を含めると総勢12名という、ちょっと大掛かりなものになりそうだったし、当日の空模様にも不安があった。小雨ならデッキで炭火が熾せるかな?しかし雨脚が強まったら、すべての料理を室内で行うことになるだろう…となるとメニュー構成も変わってくるな。招く側は、様々なシチュエーションを想定しなければならないので、気苦労は多い。
それでも、私は人を招くのが好きな方である。自分が育った家は来客が多く、ほとんど毎日のように誰かが訪れている家であった。その度に、母や祖母がせっせとおもてなしをしているのを目の当たりにしてきたことが、少なからず自分にも影響しているのだと思う。ちょっとお茶くらいなら、リビングや洗面コーナーをささっと綺麗にする程度で済む。だが、日帰りでも長時間の滞在となれば、家の中全体を片付ける必要が出てくる。これが料理より何より大変なのだが、こういうことでもないと本格的な整理整頓はできない。増えすぎたものを潔く捨てる機会をくれる、ホームパーティさまさまである。
どんどん身長が伸びて、手の届く範囲が広がってきた子供のいる我が家のテーブルの上は、さながらモノの避難場所だ。気がつけば一人暮らしの老人のように、必要なモノを常に置いておく生活に。庭の緑が映り込む、磨き甲斐のある透明のガラステーブルだってことを忘れていた。

今が旬のトウモロコシをどう食べるのが美味しいだろう?と思い、二日前に(生地づくりの)予行練習をしたトウモロコシと満願寺唐辛子のピザは黒胡椒を効かせて。
当日の午後、生地から打って焼こうと考えていたのだが、みんなの満腹具合を見ると大過ぎるなと判断し、断念した。
こちらは、当日の朝に仕込みを終えたクリーム・ブリュレ。今回はパトリス・ジュリアンさんのレシピをチョイス。レモンの風味が効いて、後味がさっぱりとしているところが美味しいと好評だった。
夕方になってやっと雨が上がり、子供たちは待ってましたとばかりにまだ濡れたデッキへ駆けていった。こうして見ると、我が家のリビングもずいぶんポップな色合いが増え、賑やかになったものだ。
そして思う。子供を見つめる大人たちの眼差しが、やさしくて美しいと。
子供は親が育てるものだろうか?いやいやどうして、この小さな子供たちが(自分は大人だと思い込んでいる)私たちを、ほんものの女性や男性に育てているのです。
10日前の、ちょうど今くらいの時刻の仕事部屋。コレクションしている鋳物や焼物が、朝日に照らされて陰影を作り出し、思わずシャッターを切っていた。
こうして見ると、今では頭を垂れた山紫陽花やシモツケの花も、盛りだったことがわかる。
一時は、デッキにプールでも置こうかと本気で考えたが、どうやら今年の夏も静かに秋へと移り変わる気配が漂ってきた。ノースリーブが欲しくて欲しくて、急いで買いに出掛けた酷暑とさようなら。今のうちに、まだ袖を通していない夏の衣装を纏おうか。わんぱくな子供がいるお陰で、実際は大人だけの暮らしより遥かに夏を謳歌させてもらっている私。だが、生きていることが楽しくて、学んだことが次々と身についてゆくことが嬉しくて仕方のない彼を遠目に眺めていると、つくづく思う。いつか着よう!とか、使おう!と思って”好きで”買い集めたものをとっておいてはいけない、次々と日の目を浴びさせることが最も大事だと。箪笥(なんてものも我が家にはないが)にしまい込むことは、決して重要なことではない。
部屋の掃除をしていて出てきた古いファイルの中に、ユキ・パリスさんのエッセイがあった。
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好きなものと共に暮らすのは楽しいことです。朝、目が覚めて最初に目にするのが、青い空や朝日に照る緑の葉や好きなものだったなら…ハッピーな一日が始まる予感がします。私の人生の中で好きなものを探すために使う時間はとても多いと思う。
西洋の人(中でもイギリス人はすごい!)は、大なり小なりもの(特に古いもの)を集め、それをインテリアに取り入れて自分を表現しています。書棚からはその人がある程度わかるし、集めたものからもわかります。
「その人らしい家」….西洋の人はそんな家作りに精魂を傾けます。
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ふむふむと読んだ。そうか、そうだったのかと。こういうことがさらりと書けてしまうユキさんは、やっぱりただものではなかった。
初めて、好きになった人の部屋に遊びに行った時の感動と言ったら。部屋の隅々まできょろきょろと眺めて、この人は本当はどんな人なんだろう?と観察したものだ。
自分が惚れ込んだものを飾ったり、使い込むことこそが、日々の暮らしにおいては最大の醍醐味かもしれない。我が子も、ここにあるようなものたちから、少しずつ私を知ってゆく。